宣教現場での質問
1,どこに行くか?
私たちは、最初から「この国へ宣教に行く」と決めていたわけではありませんでした。ただ「福音の届いていない民族であれば、どこへでも遣わしてください」と祈っていました。そんなとき、ミャンマー人の牧師と出会い、その人の招きによって、2002年末にミャンマーへ行くことを決心しました。最初は、人口最大都市のヤンゴンに行くと思っていました。しかし、そのミャンマー人牧師の強力な勧めもあって、第2都市のマンダレーに住むことにしました。住んでみて分かったのは、ヤンゴンは政治的緊張があって大学構内に入って伝道するのが難しいけど、マンダレーでは比較的ゆるやかだ、ということでした。これは本当に聖霊の導きだ、と思いました。・・・・・ミャンマー国内には135以上もの部族がありますが、そのうち約40部族は、教会、聖書翻訳、宣教者がいない「未接触・未伝道部族」です。ミャンマーで宣教を始めてから10年ほど経ったとき、私たちの内に「未伝道部族のいる所に住んで直接宣教したい」という思いが起こされました。未伝道部族のリストを持って、色々な部族の所へ行って調査し、情報を集め、どこに行くべきか考えました。その結果、シャン州ニャウンシェ町に引っ越すことにしました。そこは、近くにタウンヨー族やエンター族、パオ族などの未伝道部族が集まっています。その上、その町にはインレー湖があって有名な観光地なので、外国人が住んでも違和感なく、交通の便も比較的良いのです。そういうわけで、宣教戦略の上で都合が良いので、その町を選びました。・・・・「宣教地をどこにするか」というのは、とても重要な最初のステップです。それには、私たち人間に与えられている知恵を用いた戦略と、聖霊の自由で柔軟な導きの、両方が必要なのです。
2,言語はどうやって学ぶのか?
私たちは最初、ミャンマー語を一言も話せないままで行きました。ミャンマー人牧師と出会ってから3週間後に出発したので、事前に言語を学ぶ余裕など全くありませんでした。また、ミャンマー語の教材なども当時はあまりなくて、日本で学ぶのは実際に無理だったでしょう。現地に行ったら、生活上何をするにも言語はどうしても必要なので、状況と必要に迫られて、自然と上達しました。特に良かったのは、一般の語学学校には通わず、現地教会の中で学んだことです。礼拝の中で、プロジェクターに写る賛美の歌詞を必死に目で追いながら歌いました。同じ先生の説教を毎週一生懸命聞いているうちに、だんだん内容が理解できるようになりました。祈りの言葉は決まり文句が多いので、何回も聞いて自分も祈るうちに自然と覚えました。礼拝後の交わりの中でおしゃべりしながら、分からない単語をメモして、その場ですぐに教えてもらいました。その教会の牧師夫人が以前小学校の教師だったので、彼女が私たち夫婦のために毎週家に来て、一緒にヨハネの福音書を読みながら、聖書用語を学びました。・・・・言語を学ぶときの基本原則は「目的と分野をはっきりさせる」ということです。私の場合は「宣教のため」という明確な目的があったので、料理や動物の名前などは後回しにして、伝道や説教に必要な言葉、キリスト教用語を優先して学びました。そうやって学んでいくうちに、1年半後には、ミャンマー語でメッセージをするまでに上達しました。・・・・とは言っても、言語の学びに終わりはありません。何年経っても分からない言葉だらけです。だから常に学ぼうとする謙遜な姿勢と、チャレンジ精神が大切です。
3,異文化・環境にどう適応するのか?
ミャンマーに住み始めて最初の頃は「何とかこの地で生活していかねば」と思って、とにかくサバイバル人生でした。マンダレーは4、5月が一番暑くて気温が40度以上にもなり、夜も寝られません。全身にあせもができて、かゆくて大変でした。電気は1日に8時間しか来なくて、来ても電圧が低くてエアコンも冷蔵庫も使えません。夜はいつも懐中電灯とロウソクでした。仏教寺院からは毎日お経の声をスピーカー最大音量で24時間ずっと流されます。特に祭りのときにはうるさくて寝られませんでした。路上市場で売られている魚は骨が多く、肉は新鮮なのか不安で買えなくて、家での料理はいつも野菜と卵でした。外出するときにはいつも、ロンジーという巻きスカートの民族衣装を着て出かけました。初めはうまく結べなくて、落ちるか心配で安全ピンで止めていました。・・・・でも最初は大変だと感じても、1、2年も経つと、だんだん慣れてきます。現地人から色々な生活の知恵を教えてもらって、上手に適応するようになります。日本と違うことをいちいち不満に思っても仕方がありません。「郷に入っては郷に従え」「ローマではローマ人のように」です。文化の違いを喜んで受け入れていくときに、現地の人たちも私たちを受け入れてくれるようになるのです。
4,迫害にあったらどうするのか?
軍事独裁政権なので「もし捕まったらどうしよう」と思って、最初は恐れがありました。実際、問題を起こしてビザが取れなくなった宣教師がいました。伝道したことで寺院から迫害され、村から追い出された人もいました。2007年のデモのときには日本人のジャーナリストが射殺されて、緊迫した状況でした。その時は私も安全のために、家から出ないようにしました。・・・・しかし、私たちは現地人の教会に通っていたので、そこの牧師ファミリーがいつも私たちを守り、適切なアドバイスをしてくれました。ある日には彼らから「今、礼拝に政府の役人が監視に来ているようなので、今日は礼拝に来ないでください」との電話が来ました。またあるときには「あの地域は何の制限もなく自由にトラクト配布できますよ」と教えてくれました。このような感覚は、現地人でないと決してわからないことです。迫害を恐れすぎては何もできませんが、あまりに不用意に動いて問題を起こすのも良くありません。私たちは現地教会のカバーリングの下に入ることによって、色々な危険から守られ、知恵を持って伝道することができました。
5,子どもの教育はどうするのか?
私たちには子どもが5人います。長男は生まれてまだ5か月の赤ちゃんのときに、ミャンマーに行きました。私たちの住むマンダレーには日本人学校はありません。現地人の学校はミャンマー語だし仏教行事も多いので、送ろうとは思いませんでした。国際学校もありましたが、英語で教えるし値段があまりにも高いので、やはり送りませんでした。そんなとき、日本でホーム・スクールについてのコンベンションがあると聞いたので、参加しました。参加して驚いたのは、日本でホーム・スクールをする家庭がこんなにいるのか、ということでした。そしてホーム・スクールの子どもたちが元気よく主に賛美して、大人に対して礼儀正しく、子ども同士も互いによくケアしているのも驚きでした。そして、ホーム・スクールの親たちが、信仰継承と主にある教育のために互いに祈り合い、励まし合っている姿を見て感動しました。それで私たちは、自分たちもホーム・スクールでやっていこうと決心しました。日本語の教材を買いそろえて、両親が教師となって教えました。私が朝の礼拝と聖書暗唱、漢字を担当し、妻は算数や英語を教えました。学年やカリキュラムにしばられず、宿題を出して自習をさせ、チェックするというスタイルが多かったです。友達は、現地教会の同世代の子どもたちと仲良くなって、よく遊びました。伝道に行くのも教会活動も、いつも親子一緒だったので、それがそのまま信仰の実践訓練となりました。たまに日本から短期宣教チームが来たり、短期間の教育宣教師(家庭教師)として手伝ってくれる人が来たりすると、それはもう大喜びでした。日本に一時帰国したときは教会のチャーチ・スクールに通って、大変恵みを受けました。今でも色々と大変で試行錯誤もたくさんありますが、主が子どもたちを守り導いてくださっています。
6,お金はどうするのか?
私たちは最初、教会からの単独派遣でしたが、毎月定期的な支援があるわけではありませんでした。お金はいつもギリギリで、いつも財布を見ながら「来月には日本に戻らなければならないだろうか」と心配していました。それでも不思議と誰かから、荒野でエリヤにカラスが飛んできてパンと肉を運んだように(第1列王17:6)、ちょうど良いタイミングで献金がありました。しかし2年も経つと、カラスは飛んで来なくなりました。ついにお金がなくなって帰国したときには、財布の中には10ドルしか残っていませんでした!その後、不思議な出会いと導きを通して、超教派宣教団体に入れさせて頂きました。その後その宣教団体の紹介によって、日本中のたくさんの教会を回って宣教報告をしました。そうするうちにだんだんと、定期的に支援してくれる教会や個人が起こされてきました。そのようにして私たちは、宣教活動を再開し継続することができたのです。・・・・フェイス・ミッション(信仰による宣教)とは、宣教団体が定期的に給料をくれるのではなく、必要な資金は神様が満たしてくださる、と信じて拠り頼む宣教方法です。私たちは人間や組織に頼るのではなく、神様に祈って頼ります。そしてニュースレターや宣教報告、宣教団体の紹介を通して、諸教会に宣教のビジョンを訴えます。その中で神様ご自身が人々に思いを与えて、人を動かし、人を用いて必要を満たしてくださいます。宣教の主は、その命令に従う者と共にいて、責任を持って守ってくださる真実なお方です!
7,誰と協力するのか?
私たちはミャンマーに来た最初から、現地教会と協力するというスタイルで宣教して来ました。マンダレーの牧師会で、私が無教会地域での開拓ビジョンを訴えたとき、タウンオル先生という牧師先生がそれに応答してくださいました。タウンオル先生は非常に伝道熱心な方で、色々な村に出て行って家々で聖書を教え、未信者たちを救いに導いていました。その教会では、毎月受洗者が起こされていました。私たちも先生について行って、一緒に伝道しながら大変チャレンジを受け、また多くのことを学びました。枝教会で私たちは毎週賛美リードと説教を任されました。教会で聖書セミナーをするときには、先生は未信者クラスを担当し、私たちは信者向けの弟子育成クラスを担当しました。そうするときに、救われた人が教会につながり、ケアされ成長していきました。教会運営や維持管理は私の賜物ではないのでそれは現地人リーダーに任せて、私たちはみことばを教えることに集中しました。違う賜物を持つ者が、同じビジョンの下で互いに協力するときに、効果的により多くの実を結ぶことができました。
8,どうやって伝道するのか?
私たちは未伝道部族であるタウンヨー族の村で伝道しました。カンドー村では、マ・ナンティという女性が、私たちを迎え入れてくれる「平安の子」となりました(ルカ10:5—7)。毎週その家に行ってお茶を飲み、親しくなります。彼女たちの話を聞き、その必要のためにイエスの御名によって手を置いて祈ってあげます。妻のソジョン宣教師が短く救いの証しと福音の話をします。毎回色々な薬を持って行って、ほしい人にプレゼントすると、大変喜ばれます。毎週続けていると、うわさを聞いて、村中の主婦たちが集まって来ます。マ・ナンティの家が私たちの「身元保証人」となって「あの人たちは良いことをしてくれる人だ」と言ってくれるので、村の役人も寺の僧侶も何も言いません。それでその家庭集会には20人以上集まるときもありました。毎回賛美して、短くメッセージして、薬をあげて、一人一人のために手を置いて祈ります。その中で「イエス様を信じます」と言う人が何人も起こされました。夢の中でイエス様が現れて足をいやしてくださった、という主婦もいました。クリスマス会をやるときには、みんなを軽トラックにのせて教会に連れて行き、60人ぐらいが来てくれました。
9,どうやって主の弟子を育てるのか?
私たちはシャン州ニャウンシェ町で、バザ先生という現地人牧師と出会いました。バザ先生は私たちが来る前から、子ども寮による伝道をしていました。田舎に住む未伝道部族の子どもたちは、町から遠くて学校に通えないので、先生はその子どもたちを自分の家に住ませて、学校に行けるように無料で助けていました。先生の活動を通して未伝道部族の子どもたちがイエス様を信じ変えられていくのを見て、私たちは感動し、その先生と一緒に協力して宣教することにしました。そんなときに、韓国のある婦人が「ミャンマーで教会を建ててください」言って、私たちのために多額の献金をしてくださいました。私たちはそれをバザ先生に話して、一緒に土地を買い、会堂を建築して、その教会を「ガユナー(あわれみ)教会」と名づけました。ガユナー教会では、主任牧師はバザ先生ですが、私やソジョンも主日説教をしてチーム牧会をし、普段の日にも子どもたちに聖書を教え、村伝道も一緒に行きました。その中で未伝道部族、特にエンター族、パオ族の子どもたちが次々と洗礼を受け、その親たちも主イエスを信じるようになりました。ガユナー教会では毎年、4月と10月に聖書キャンプを行います。そのときが伝道と弟子育成の収穫のときなのです。特に2019年4月には、1か月間教会に宿泊する聖書学校をやりました。16名の青年が参加して、朝晩賛美し、祈り、聖書を学びました。これを通して、多くの青年たちが主を信じ献身するようになりました。2017年から2019年までの3年間で、合計39人が洗礼を受けました。2023年2月にはタウンヨー族出身の青年テッアウンが、8か月コースの聖書学校を卒業しました。今ではガユナー教会で働き人として活躍しています。主のみわざを賛美します!
