日本のリバイバルは世界宣教から始まる

私が日本に戻って来て、よく受ける質問があります。それは「なぜ世界宣教をするのですか? 日本の教会も人がいなくて大変なのに、日本での伝道のほうが先なのでは?」といったものです。そのような疑問を持つ方が結構多いことに気が付きました。そして、そのような質問に対して、一言で答えるのが難しくて、とても苦労しました。そこで、この質問について、ここで答えてみたいと思います。

1、キリストのからだの一器官

(第1コリント12:21)目が手に向かって「あなたはいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって「あなたがたはいらない」と言うこともできません。

私たちクリスチャンはみな、キリストのからだの中の一器官です。各器官は、それぞれ役割があって、みな違います。そして、違っていていいのです。それぞれがみな必要で、大切な役割をしています。一方が一方に向かって、「そんな働きは必要ない」と言うことはできません。

神様は、キリストの御国のための、大きな神の軍隊を動かしておられます。ある人は陸軍、ある人は海軍、ある人は前線でパラシュート部隊、ある人は後方支援、どれも必要であり、どちらか一方が大切、というものではありません。色々な働きがあってよいのです。ある人は日本国内での働き、ある人は海外での働きに召されています。それぞれが、主の召しに従って、自分の任務を忠実に果たすことが大切です。主がある人を宣教の働きに召したのに、他の人がその召しを否定することはできないのです。

 「日本の伝道を優先すべきだ」と思う人は、それがその人の召しなのです。それを、他の人にやらせたり、押し付けたりしてはいけません。主がそのような重荷、使命感を与えて下さったのだから、本人がそれに忠実に従えば、それでいいのです。その大切な使命のために、自分の人生をささげて下さい。

2,「段階論」の危険

(使徒1:8、新共同訳)あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」

この聖句を「まずエルサレムを伝道して、それがある程度できてきたら、次にユダヤとサマリアの全土を伝道して、その後で余力があったら、地の果てまで宣教する」というように考える人がいます。しかし、実際にはそうではありません。初代教会は、ユダヤ人がみんな信じてから異邦人に伝道したでしょうか?いいえ、まだまだのうちから、宣教を始めました。その結果、福音は一世代のうちに遠くローマ、スペインにまで宣べ伝えられたのです。だから、この聖句の本当の意味は、こうです。「エルサレムでも、ユダヤとサマリアの全土でも、地の果てでも、主の証人になる。」世界宣教は全教会への主の命令です。国内も海外も「同時進行」です。余力があればやる、とか、ひとつができてから次、というものではありません。

「日本が福音化してから世界へ」というのは、一見もっともらしく聞こえます。しかし、実は、このような考えでは、いつまでたっても、決して世界に出ることはありません。「もっと良い人間になってから教会に行く」「もっと条件がととのってから献身する」「もっと収入が安定してきてから十一献金する」「もっと教会が大きくなってきたら宣教師を派遣する」「もっと英語ができるようになって、神学も勉強して、霊的に成熟してから宣教師になる」

・・・・・みな「段階論」です。この考えでいくと、どんどん消極的、縮小的、内向き、守りの姿勢、自分中心になります。「日本もできていないのに世界なんて」「自分の地域も伝道できていないのに日本の福音化なんて」「自分の教会も大変なのに地域協力なんて」「家族もまだ未信者なのに教会奉仕なんて」「自分だけでも精一杯なのに他人のことなんて」・・・・・どんどん小さくなっていきます。これでは、信仰が死んでいます。戦う前から、もうすでに負けているのです。

 以前、欧米の宣教師たちは、自分の国の人がみなクリスチャンになってから日本に来たのでしょうか? 母国の派遣教会が大きいから、収入が多いから宣教に来たのでしょうか? いいえ、まだ十分ではないけど、信仰によって宣教に出て行ったのです。そのおかげで、今の日本の教会があるのではありませんか。彼らがもし日本に来なかったら、彼らの献身と犠牲がなかったら、あなたはまだ未信者のままで、滅びに向かっていたかも知れないのです。それでも良いのでしょうか? それなのにまだ、日本の教会は宣教に出て行かなくてもいいのでしょうか。

 一本の丸太を5人で運ぶとします。一方は4人で持っていますが、もう一方にはたった一人です。あなたなら、どちらを助けますか? もちろん人の少ない方でしょう。「日本のクリスチャンはまだ1パーセント以下、教会も小さい」もちろんそうかも知れません。でも、世界中には、教会もなく、働き人もいない、聖書もない、という未伝道部族が、まだたくさんあるのです。そしてこのような部族のための献身者は、圧倒的に少ないのです。彼らがキリストの救いの福音を「一度も」聞くことがないまま、地獄に向かって行っていいのでしょうか。彼らの救いのために、今、私たちが何かできることがあるのではないでしょうか。

3,与えるとき祝福される

(ルカ6:38)与えなさい。そうすれば、自分も与えられます。

神の国の原則は「与えるとき与えられる。送り出すとき送られてくる。ささげるとき満たされる。」です。ある人は「私だけを祝福して下さい」と祈り、ある人は「私を通して、まわりのみんなが祝福されますように」と祈ります。神様は、どちらの祈りを喜ぶでしょうか? もちろん後者でしょう。宣教するとき、一番祝福を受けるのは、その本人です。宣教の働きに参加することは、これ以上ない特権なのです。

世界宣教にビジョンを持つ人は、日本で伝道しないでしょうか? いいえ、もっと伝道するようになります。海外に出てみたクリスチャンは、日本を愛さなくなりますか? いいえ、もっと日本のことを思うようになります。日本全体のためにもっと祈るようになります。視野が広がります。神様の目で世界を見て、神様の目で日本を見るようになります。

短期宣教旅行に行ってきた人の証しを聞いたことがありますか? 彼らは世界宣教の現場で、魂の刈り取りがなされているのを自分の目で見ます。そしてその働きのために、主がこんな自分を用いて下さるんだ、ということを体験するのです。信仰が一気に成長します。宣教のために喜んで献身します。たった一週間で、人生が変えられるのです。そして、聖霊に燃やされて、その火を日本の教会に持って帰って来るのです。それによって、教会はチャレンジを受けます。新しい献身者が起こされます。教会が生き生きしてきます。宣教者を送り出すときに、一番祝福を受けるのは、その教会なのです。

今の日本の若者たちは、世界大のビジョンを求めています。国際貢献、ボランティア、NGO,海外青年協力隊、そういった働きの募集には、若者たちが殺到しています。そして、どんな危険な国であっても、その仕事ために命をかけて身を投じるのです。いいえ、若者だけではありません。年配の人もです。定年退職後、経験とキャリアを生かして、「シニア海外ボランティア」などで活躍しています。お金も時間もあって、その国で尊敬されながら、第2の人生を、海外で生き生きと過ごしているのです。

このような時代の中にあって、日本のクリスチャンが世界ビジョンに目を向けたら、どんなに主に用いられるでしょうか。夢のない若者たち、希望を失った高齢者たちに、この世界宣教のビジョンを与えたら、日本の教会はどんなに祝福されるでしょうか。

 私は日本を愛しています。そして日本のリバイバルを切に願い、祈り求めています。そして、私はこう信じているのです。「日本のリバイバルは、世界宣教から始まる」と。日本はこれから、宣教者をどんどん派遣する国になります。そのような時代が、今もうすでに来ています。世界を変えるために主が用いられる国、祝福の源の国となります。日本は世界中の国々に霊的祝福を輸出する「宣教大国」となるのです! 信じますか?

その日のために、今から信仰をもって備えて行きましょう。あなたはその先駆者、パイオニアとなるのです。主があなたを通して、全世界を祝福されますように。

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