宣教のハードルを下げる
私が世界宣教の必要性について話すときに、いつも心がけているのは「宣教に行くことに対する心のハードルを下げる」ということです。なぜかと言うと、日本人クリスチャンには、世界宣教と聞くと「自分には難しくてハードルが高い」と思い込んでいる人が、非常に多いからです。例えば、こんな感じです。
「世界宣教は、霊的に成熟して献身したエリート、一部の特別な人だけがするものだから、自分とは関係がない。」
「自分はクリスチャンとしてまだまだ未熟だから、宣教に行くなんてとんでもない。」
「宣教に行くなら殉教の精神で、現地で万が一死ぬことがあっても構わないという覚悟を持って、遺書を書いてから行くべきだ。」
「自分は英語も苦手だし、もう年だし、気候や食べ物や生活環境が違うと大変だから、宣教なんて無理だ。」
「今自分がやることだけでも忙しくて、時間もお金もないのに、宣教に行く余裕なんてない。」
「自分なんて宣教地に行っても迷惑になるだけだ。」などなど・・・・。
そんなふうに考えていたら、ハードルが高すぎると感じられ、「恐れ」にしばられて、宣教に行こうとはしなくなるでしょう。
だからこそ私は、そのハードルを極力低くしようとして、こう言うのです。
「何か霊的にすぐれた、ハドソン・テーラーのような人でなくても、今の時代は誰でも、普通の人でも海外旅行に行けますよ。」
「昔みたいに船で何か月もかけて行って、ジャングルで生活して、そこで骨をうずめるわけではありません。」
「飛行機で行けて、1週間だけで、ホテルもトイレもきれいですよ。」
「食べ物や水も、私が安全な所だけを紹介するから大丈夫ですよ。」
「英語ができなくても、ちゃんと通訳者がいるし、グーグル翻訳もあるから何とかなりますよ。」
「未信者でも、年配の人でも、ミャンマーの奥地に観光旅行に行っていますよ。」
「だから、悲壮な覚悟なんて持たないで、気楽にフラーっと来てください!」
・・・・実際、私がミャンマーにいた頃、実に色々な人が私の所まで来てくれました。中には霊的にまだまだと思えるような人や、未信者も何人もいました。でも、彼らは宣教地に来て、神様が生きて働かれるのをナマで見て体験し、グーンと成長して帰っていきました。
・・・・もしハードルが高すぎたら、誰も宣教に行こうとはしません。でも最初のハードルが低ければ、何とか一歩踏み出すことができます。それで一度でも宣教の味を体験したら、必ずまた行きたくなります。そして次にはもう少し高いハードルでもチャレンジしてみよう、という気になるのです。
私は一人でも多くの人に世界宣教を体験してほしいと切に願っています。だからこそ、今まで色々な人を現地で受け入れて来ました。そうすることで、私は日本のクリスチャンに仕えることができるからです。日本人を世界宣教に動員することによって、日本の教会に大きな祝福をもたらすことができると、私は信じているのです。
この記事を読んで「ならば一度宣教に行ってみようかな」と思った人がいますか?ぜひWUPM Japan までお問い合わせください。あなたの宣教の道が開かれるように、心からお祈りします。
(短期宣教旅行を希望する方は、下記の募集要項をご覧ください。)

